日本後紀巻卅四逸文〈起天長三年正月、尽同十二月〉
天長三年春正月戊辰朔。皇帝御大極殿、受朝賀。宴侍臣於内裏、賜被。
(『類聚国史』一七三火・『日本紀略』)庚午。亥剋失火左兵衛府厨院、灰滅厮女一人。」(『類聚国史』六六薨卒・『日本紀略』)今日、散位従四位上石川朝臣継人卒。正四位下難波麻呂之孫、従四位上豊人之男也。延暦十三年叙従五位下、大同三年従五位上、弘仁十三年従四位下、天長元年従四位上。性質素無所燭餝。歴任内外、毀誉不聞。国之元老、被授崇班。卒時年八十六。
(『類聚国史』一七一地震・『日本紀略』)壬辰。地震。」(『類聚国史』一七三火・『日本紀略』)縁左兵衛府失火事、祓除於南庭。
甲戌。賜宴於豊楽殿。授正四位下藤原朝臣継業従三位。従四位下小野朝臣岑守従四位上。無位高枝王従四位下。従五位下雄豊王従五位上。正六位上粟生王従五位下。正五位下藤原朝臣世嗣従四位下。正五位下百済王元勝正五位上。従五位下安野宿祢文継正五位下。従五位下巨勢朝臣河嗣・紀朝臣虎主・藤原朝臣人並・和気朝臣仲世・大江朝臣総成・藤原朝臣葛守・林朝臣山主・藤原朝臣常嗣・広階宿祢真象従五位上。正六位上藤原朝臣諸成・布瑠宿祢高庭、外従五位下坂上忌寸今継・羽咋公吉足従五位下。外従五位下奄智造吉備麻呂・船連湊守外正五位下。正六位上宮原宿祢村継・大崗忌寸豊継外従五位下。賜禄有差。
(『類聚国史』九九叙位)乙亥。授正六位上三継王・伊勢朝臣永嗣従五位上。」(『日本紀略』)〈女叙位〉。
辛巳。地震。
戊子。任官。
(『類聚国史』一七一地震・『日本紀略』)庚寅。地震。」(『類聚国史』九九叙位)授外従五位下遠田臣人綱・上毛野賀茂公宗継外正五位下。外正六位上磐城臣藤成・上毛野陸奥公吉身外従五位下。
乙未。幸芹川野遊猟。従四位下源朝臣信為侍従、山城国別当中納言従三位清原真人夏野、率国司聊献物。賜群臣及国司判官以上衣被。
丙申。和泉国、令築池五処。従民望也。
二月辛丑。任官。
癸丑。備前国、停田原池、築神埼池。
(『類聚国史』一七一地震・『日本紀略』)辛酉。地震。」(『類聚国史』三六山陵・『日本紀略』任改葬石作山陵司。)
壬戌。賜唐留学僧霊船《霊仙》之弟妹、阿波国稲一千束。
三月戊辰朔。右大臣従二位兼行皇太子傅臣藤原朝臣緒嗣言。依去天長元年正月廿四日上表、渤海入朝、定以一紀。而今寄言霊仙、巧敗契期。仍可還却状、以去年十二月七日言上。而或人論曰。今有両君絶世之譲、已越尭舜。私而不告、大仁芳声、縁何通於海外。臣案、日本書紀云。誉田天皇崩、時太子菟道稚郎子、譲位于大鷦鷯尊。固辞曰。豈違先帝之命、輙従弟王之言。兄弟相譲、不敢当之。太子興宮於菟道而居。皇居空之、既経三歳。太子曰。我久生煩天下哉。遂於菟道宮自薨。大鷦鷯尊悲慟越礼。即天皇位、都難波高津宮。委曲在書紀、不能以具尽。于時譲国之美、無赴海外。此則先哲智慮、深顧国家。然則先王之旧典、万代之不朽者也。又伝聞。礼記云。夫礼者、所以定親疎、決嫌疑、別同異、明是非也。礼不辞費、礼不踰節。而渤海客徒、既違詔旨、濫以入朝。偏容拙信、恐損旧典。実是商旅、不足隣客。以彼商旅、為客損国、未見治体。加以、比日雑務行事、贈皇后改葬〈一〉、御斎会〈二〉、掘加勢山溝并飛鳥堰溝〈三〉、七道畿内巡察使〈四〉、可召渤海客徒〈五〉、経営重畳、騒動不遑。又頃年旱疫相仍、人物共尽、一度賑給、正税欠少。況復時臨農要、弊多逢送、人疲差役、税損供給。夫君無想信、安存天下。民憂未息、天災難滅。非一人天下、是万人天下。縦今損民焉、徳有慙後賢。伏請、停止客徒入京、即自着国還却、且示朝威、且除民苦。唯依期入朝、須用古例。臣緒嗣雖久臥疾牀、心神既迷、而恩主之至、半死無忘。愚臣中誠、不獲不陳。謹重奉表以聞。不許。
(『日本紀略』)己巳。妃従二位多治比真人高子薨。贈従一位。年卅九。遣使就第詔曰。云々。」(『類聚国史』一九〇俘囚)度俘囚二人。
丁丑。奉為柏原天皇、於西寺限七ケ日、説法華経。別有朝儀。請致任大僧都護命法師、為講師。公卿以下供其事。其経太上天皇手跡也。紫宸金字、玉軸繍帙、一点一画、有体有勢、珠連星列、爛然満目。観人称曰真聖、鍾■逸少、猶未足。云々。又仏堂荘厳、種々法物、尽奇窮異。
乙未。任官。
甲申。詔曰。天皇《我》詔旨《良万止》宣《布》詔旨《乎》聞食《倍止》宣。従八位下出雲臣豊持《乎》国造《尓》任賜《霑》冠位上賜《比》、大御手物賜《久止》宣《布》詔《乎》聞食《閇止》宣。
四月壬寅。皇帝幸於南池、召文人令賦詩、賜禄有差。
丁未。幸神泉苑。
己酉。地震。
(『類聚国史』六六薨卒・『日本紀略』)五月丁卯朔。散位従四位上安部朝臣男笠卒。延暦十七年叙従五位下任右兵衛佐、遷任左馬頭兼参河守、弘仁初叙従五位上任駿河守、俄叙従四位下拝任主殿頭、尋授従四位上。性質素、無才学。歴職内外、不聞善悪。調鷹之道、冠絶衆倫。桓武天皇寵之。屡侍竜顔。卒時年七十四。」(『日本紀略』)三品恒世親王薨。今上第一皇子、母贈皇后、桓武天皇之皇女也(高志内親王)。年廿二。天皇悲痛、久不視朝。
甲戌。渤海客徒大使高承祖等入京。安置鴻臚館。
丙子。葬恒世親王於山城国愛宕郡鳥部寺以南。
戊寅。渤海国使政道進少卿高承祖授正三位。副使高如岳正四位上。判官王文信・高孝英二人正五位上。録事高成仲・陳崇彦二人従五位上。訳語李隆郎・李承宗二人従五位下。六位已下十一人、又有叙位。
庚辰。渤海客徒、帰加賀国。
辛巳。天皇啓問渤海国王。使承祖等、転送在唐学問僧霊仙表物来。省啓悉之、転深嘉慰。王信確金石、操貞松■。■国命於西秦、五台之嶺非■、敦隣好於南夏、万里之航自通。煙波雖遼、義誠密迩。有斐君子、■心塞淵。感激之懐、不可■説。土宜見贈、深領遠情。答信軽毛、別附検到。其釈貞素、操行所缺者、承祖周悉。風景正熱、王無恙也。略此寄懐、不復煩云。
己丑。賑給左右京飢民。
壬辰。授正六位下文室朝臣富田麻呂従五位下。
甲午。左大臣上表。
乙未。詔曰。云々。
六月戊戌。参議従四位下橘朝臣常主卒。年四十。
己亥。改七月七日相撲、定十六日。避国忌也。
(『類聚国史』一七一地震・『日本紀略』)壬寅。地震。」(『類聚国史』一一祈祷一七三疾疫・『日本紀略』)屈一百僧於御在所及大極殿、限三箇日、転読大般若経。防疫癘、祈豊年也。
甲辰。俊子内親王薨。太上天皇皇女也。
丙午。葬愛宕郡愛宕寺以南山。
丙辰。任相撲司。
丁巳。任官。
秋七月甲辰。任官。四品賀陽親王為中務卿。
(『類聚国史』七三相撲・『日本紀略』)辛巳。御豊楽殿、覧相撲。」(『類聚国史』一六五雲・『日本紀略』)慶雲見西方。其状五色相雑、如夾纈絹。
(『日本紀略』)己丑。左大臣正二位兼行左近衛大将藤原朝臣冬嗣薨。年五十二。
辛卯。遣使就大臣深草別業、詔曰。云々。贈正一位。葬于山城国愛宕郡深草山(宇治郡か)。」(『類聚国史』一〇七斎院司)摂津国垂水庄公田一町八段、賜斎院司。
八月丁酉。従四位上安部朝臣雄能麻呂卒。従五位下億□麻呂之孫、因幡守従五位上人成之子也。弘仁元年叙従五位下、八年従四位下、十三年従四位上。初以調鷹得達、無他才学、品秩顕要、一身之幸也。
戊戌。召大学博士従五位上伊予部連真貞及直講・学生等於紫宸殿、令講論経義。例也。賜禄。
戊申。授従五位上藤原朝臣朝臣家雄・藤原朝臣吉野正五位下。
(『類聚国史』九九叙位)丙辰。授正五位下藤原朝臣家雄従四位下。」(『日本紀略』)任官。
壬戌。賑給左右京飢病及被水害百姓等。
九月丙寅。河内国渋河郡荒廃閑地廿町、充典薬寮。
己巳。詔曰。云々。
庚午。伊予守従四位上安倍朝臣真勝卒。大宰大監正六位上三綱之子也。延暦年中叙従五位下、任陰陽頭、弘仁十一年叙従四位下、任神祇伯、歴甲斐伊予守。天資質樸、不好祇媚。学老荘、能口自読如流、不精義理。所歴之職、頗称寛静。卒時七十三。
癸酉。賜宴於内裏、文人已上、賜禄有差。
乙亥。天皇御八省院、奉幣帛於伊勢大神宮。
(『類聚国史』九九叙位)丁丑。授正六位上長田王・藤原朝臣浜雄・佐伯宿祢福成従五位下」(『日本紀略』)任官。
甲申。河内国若江・渋河両郡地二十町、充陰陽寮。
己巳。任官。
冬十月丙辰。天皇幸栗前野遊猟。賜侍従及狩長非侍従并山城国掾已上衣被。
壬寅。任官。
己酉。授正六位上多治比真人門成従五位下。
己未。授正六位上藤原朝臣貞吉従五位下。
十一月丁丑。任五畿内校田使。
乙丑。地震。
己巳。任官。
十二月甲辰。雨雪。
乙巳。地震。
丙午。分使奉諸陵荷前幣。
戊申。車駕幸大原野遊猟。賜親王以下侍臣及狩長五位非侍従以上禄、各有差。
(『類聚国史』一六五雲・『日本紀略』)己未。詔曰。朕以菲薄、嗣膺丕基、踐氷虔虔、馭朽敬敬、膏沢不浹於黎庶、風化莫澄於寰区。剋己■懐、未知攸済。忽見公卿来表、有賀慶雲之瑞。朕徳行無聞、以慙感物。道化有缺、何用動神。但惟俊乂百工、存職匪懈、雖霊芝不効、慶有余焉。万民不贍、帝則未順。雖麟鳳在野、吾猶懼矣。自顧庸虚、何之慶賀。朕尚不敢当之。公等宜且停矣。」右大臣従二位兼皇太子傅臣藤原朝臣緒嗣等言。臣聞。天道無言、待哲后而呈祉、神功不宰、値仁君而降祥。故景雲入歌、有虞之化逾穆、伏気叙彩、軒轅之業克宣。伏惟、皇帝陛下、徳等二儀、仁敦万物、与天合徳。尚憂寒暑之不均、将地■貲恐黎元之未給。伏見少外記従六位下都宿祢広田麻呂・左大史正六位上御野宿祢清庭等奏稱。去七月十六日申時、有五色雲、見於豊楽殿之西。又紀伊国守従五位下占野王等奏稱。去八月廿八日、慶雲見於海部郡賀多村伴嶋上。又大宰大弐参議従四位上小野朝臣岑守等奏稱。去七月七日、慶雲見于筑前国那賀郡之上。並皆彩色紛郁、美麗非常。臣等謹案。孫子瑞応図曰。慶雲太平之応也。礼斗威儀曰。政和平則慶雲至。孝経援神契曰。徳至山陵則慶雲出。夫殿号豊楽、試験四海之歓娯。嶋名聖諱、表一人之有慶。斯実曠古之所希、歴世之所難逢。臣等幸値会昌之期、頻覩希世之瑞。其為抃躍。寔百恒品、不勝悦予之至。謹拝表陳賀。以聞。」(『類聚国史』九九叙位)授従五位上紀朝臣御依正五位下。
辛酉。右大臣従二位兼行皇太子傅藤原朝臣緒嗣等言。臣聞。惟天為大、叶天道者聖人、惟皇体元、応皇徳者霊■。故丹羽止戸、周氏開七百之期、白狼入朝、殷家隆九五之祚。伏惟、皇帝陛下、登枢踐暦、執象応機。解殷帝之羅、去三面而流恵、垂夏王之泣、傷万姓之有辜。是以、天瑞地符之祥、異名而影集、応図合諜之■、同時而星連。陛下、謙譲而不当。長卿有云。且天為質闇、珍符固不可辞也。伏望。鴻慈曲垂、以納下臣之■、且副上天之心。不任鳧藻之至、奉表陳乞。以聞。
壬戌。詔曰。朕以昧徳、忝纂君臨、乗奔軫懐。納隍銷志、分宵廃寝、憂万方之未安、興晨忘■、懼八政之或殊。近有非雲、見諸内外公卿表賀、辞不敢当。尚亦頻奏。推之不得。誠如来表。豈謂在己。此則七廟之霊、感恩如在、二儀之感、徴祥自臻。今欲報徳蒼天、寄彼祖宗、播恵黎烝、共斯嘉■。可大赦天下。自天長三年十二月卅日昧爽以前、大辟已下、罪無輕重、未発露・已発露・未結正・已結正・繋囚見徒咸悉赦除。但犯八虐・私鋳銭・強竊二盜、常赦所不免者。不在赦限。其初見人、五位者進位一階、六位已下者二階、正六位上者廻授一子二階、白丁免当戸今年調庸。内外文武官、主典已上、加位一級。但正六位上者、廻授一子。若無子者、宜量賜物。五位已上子孫年廿已上者、亦叙当蔭之階。天下老人、百歳已上、賜穀三斛、九十已上二斛、八十已上一斛。鰥寡孤独不能自存者、量加賑恤。孝子順孫義夫節婦、旌表門閭、終身勿事。普告遐邇、咸使知聞。
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藤原冬嗣
日本后纪日本,藤原冬嗣,卷第卅四藤原冬嗣卷第卅四,日本後紀巻卅四逸文〈起天長三年正月、尽同十二月〉天長三年春正月戊辰朔。皇帝御大極殿、受朝賀。宴侍臣於内裏、賜被。(『類聚国史』一七三火・『日本紀略』)庚午。亥剋失火左兵衛府厨院、灰滅厮女一人。」(『類..
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